研究への想いを語る 1
研究への想いを語る 2
研究への想いを語る 3

ー日本動物学会賞受賞にあたって(2005年)ー
これまでを振り返って

小学生の頃の記憶をたどっていくと、研究を志すきっかけが3つあったように思える。その当時私は不登校児であり、家の近所で虫をとることや、模型作りの非常に細かい作業に没頭するのが日課だったように記憶している。この頃から私はよく大人にあきれられていた。大人たちが当然と思うことが不思議で仕方がなかったのである。この気性が研究者となるきっかけの一つであったように思える。
もう一つのきっかけは、おそらく、父親(菌学者、故人)が、自宅で顕微鏡を覗き、筆やペンを器用に使いケントを描いていたのをみて、「生物学の研究は楽しそうだ」と思ったからかもしれない。
3番目のきっかけは、考えることの楽しみを初めて知ったことであろう。不登校のため転校を余儀なくされ叔父(物理学者、故人)の世話になっていた時、時間がたっぷりあった私は、彼から幾何の証明問題を教わり数ヶ月間苦労して答を導いた記憶がある。“幾何に王道なし”そのとき聞いた言葉であるが、証明のためには一つの決まった道だけでなく、考える人の数だけ正解があることにはじめて気づかされた。この言葉は、いまだに研究に悩んだとき脳裏をよぎる。“生物学に王道なし”と自分自身を鼓舞するのである。

出発点

生き物を材料にして研究したいという思いを断ち切れずに、筑波大学で生物学を専攻した私は、そこで発生学の研究と出会った。岡田益吉先生(現筑波大学名誉教授)の授業で紹介された「発生現象の細胞社会学」(柴谷篤弘著)を熟読しパターン形成にはまった。パターン形成の数理モデルを作りたいという無謀な卒業研究の学生を岡田先生が受け入れてくださった。ショウジョウバエ翅の前縁部の剛毛配列パターン形成というテーマをいただいた私は、それまでの不勉強がたたり多くのことを学ばなければなかった。
しかし、研究室には比較的ゆったりとした時間が流れていたように思える。発生に関わる多くの遺伝子の単離、その機能解析に時間を割いている今と比べ、材料としていたショウジョウバエの発生そのものを顕微鏡で眺め、いろいろと考えをめぐらせ、先生や先輩方と論議する(論議してへこまされる)機会が多く、研究の出発点として幸運だったと思う。大学院に進学し、生殖細胞形成に関わる因子の同定に研究テーマを変更したが、20年もこの研究を続けるとは夢にも思わなかった。

極細胞の形成に関わる因子の探索

ショウジョウバエの生殖細胞は、卵の後端部に形成される極細胞に由来する。極細胞は、生殖巣へと卵内を移動し、その生殖巣中で卵や精子に分化する。これらの一連の過程を制御する因子が卵の後端の細胞質(極細胞質)中に局在することが移植実験により明らかになっていた。この因子は「生殖細胞決定因子」と呼ばれ、この実体を明らかにすることが私の研究の目標であった。しかし、生殖細胞決定因子は、単一の分子ではなく、生殖細胞形成過程の別々の段階を制御する複数の分子の集合であることが次第に明らかとなってきた。
そこで、これら複数の分子を一つ一つ同定し、それらの機能を地道に解析しようとこのとき決意したのである。まず初めに、極細胞の形成に関わる分子としてミトコンドリアのrRNA(mtrRNA)を同定した。紫外線照射により不妊化した胚に、マイクロインジェクションすることにより極細胞を形成する能力を回復させる因子として単離してきた。
当時は(今も?)ミトコンドリアのrRNAにこのような活性があることは一般には受け入れられず、論文を出すのに苦労したことを鮮明に思い出す。いくつもの反対意見を論破しつつ、研究成果を継続して出し続けられた。これは、岡田先生の強力な精神的サポートのおかげであると思う。現在までの研究により、極細胞質中でミトコンドリア外に搬出されたmtrRNAは、極顆粒と呼ばれる構造物上でミトコンドリア・タイプのリボソームを形成し、極細胞形成に関わるタンパク質の合成に関わることが明らかとなった。

Nanosタンパク質の機能

mtrRNAは、極細胞の形成に関与するが、その後の極細胞の分化には別の分子が関わっている。この分子を同定したいという思いが募っていった。極細胞質中に分布し、極細胞に取り込まれる分子としてNanosタンパク質が知られていた。その当時、この分子は胚の腹部を決定する機能を持つことが明らかとなっており、誰も生殖細胞の形成に関わるとは考えてもいなかった。正確には、Nanosタンパク質の機能を失った胚は、腹部形成異常のため致死となり、極細胞が生殖細胞にまで分化できるのか調べられていなかったのである。
そこで、Nanosを欠く極細胞を正常胚に移植して、その細胞が生殖細胞に分化できないことを明らかにした。その後の研究により、極細胞中でNanosタンパク質は、極細胞の細胞分裂を胚発生過程の初期に抑制すること、アポトーシスを抑制し極細胞の維持をおこなうこと、極細胞の体細胞分化を阻害することを明らかにすることができた。
現在では、これらの制御機構も明らかとなっている。特に、この3つの機能のうち体細胞分化抑制は極細胞の発生運命を決定する上で重要な機能と考えられる。ショウジョウバエの極細胞は潜在的には分化多能性であり、Nanosによりその運命が生殖細胞に分化するべく限局されることがはじめて明らかとなったのである。

ショウジョウバエ以外の動物でのmtrRNAやNanosの挙動

この研究を始めた時点で、生殖細胞の形成機構(少なくともその一部)は、多くの動物に共通であろうという思いこみがあった。これは、進化の過程で多細胞化したときに、生殖細胞がまず必要となっただろうという憶測に基づく。これを確かめるために、ショウジョウバエ以外の動物でのmtrRNAやNanosの挙動を調べてみたかった。
幸運にも共同研究者に恵まれ、mtrRNAに関して、ウニ、ホヤ、カエルなどの動物において、卵内の一部の細胞質(カエルでは生殖質)でこの分子がミトコンドリアの外に存在することを示す結果が得られ、機能解析も進行しつつある。Nanosに関しては、私たちの研究をきっかけとして、いくつかのモデル動物で発現や機能が調べられ、生殖細胞に発現し、その分化過程で機能することが明らかとなった。特に、マウスに関しては、遺伝学研究所の相賀裕美子教授と共同で機能を明らかにすることが出来たのも幸運であった。これらの動物群において、両分子がショウジョウバエと同じような分子機能を持つか知りたいところである。

さらなる生殖細胞形成因子の探索

mtrRNAやNanos以外に、生殖細胞としての特質を決定する働きを持つ因子が極細胞質中に存在すると予想される。この分子は、おそらく生殖系列特異的な遺伝子発現を極細胞中で活性化すると考えられる。
そこで、胚発生過程の各ステージから極細胞のみを単離し、ショウジョウバエの全遺伝子にコードされるRNAの変化をマイクロアレイを用いて解析している。その結果、極細胞特異的に分布する母性および胚性RNAをゲノムワイドに同定することに成功した。これらRNA中には極細胞質に局在して、転写因子をコードするものも含まれる。これらの機能を中心に極細胞特異的なgenetic networkが明らかになるものと期待している。
生殖細胞の研究を開始したときには、ショウジョウバエのゲノム上の塩基配列がほぼ全て決定され、その情報を利用して研究を行うなどということは思ってもみなかった。今それが現実になり、20年間の研究の動きが激しいものであったことを実感できる。

おわりに

紙面の都合で紹介できなかったこれまでの研究や、現在進行中の研究も数多くある。これらを含めて、ここで紹介させていただいた研究は、細胞や胚をよく観察することから“ひらめいた”ものも少なくない。
私の研究室の本棚には、古い顕微鏡が眠っている。1923年にドイツで製造されたこの顕微鏡は、中国に渡り、戦後の混乱期に解体され密かに日本に運び込まれた。物資の乏しかった当時、父親を含め何人かの研究者の研究心を維持したであろう顕微鏡はたまに語りかけてくる。“生き物の生の姿を目で見ることなしに研究はできないよ”私にはそう聞こえる。